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特攻ライブラリー第1回取材/前村弘さん


平成21年6月28日、(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会様のご協力を仰ぎ、特攻ライブラリー第1回目のインタビューを行いました。

お話を伺ったのは都内在住の前村弘さんです。

身振り手振りを交えながらの白熱した戦場体験談から笑顔を交えた思い出話まで、実にたくさんのお話をいただき、一同、時の経つのも忘れついつい長居してしまいました。

前村さんは四式重爆撃機『飛龍』の航法士として、昭和20年3月の東海沖特攻作戦、同4月の沖縄特攻作戦と二回の特攻作戦に参加しながらも、九死に一生を得て生還されたという壮絶なご経験の持ち主です。

昭和19年、陸軍特別幹部候補生第1期として浜松第7航空教育隊3中隊に入営。同教育隊における3ヶ月の基礎訓練の後、4ヶ月の宇都宮飛行部隊航法学生教育課程を経て、飛行第62戦隊へ転属。前述の通り四式重爆撃機『飛龍』の航法士として、跳飛弾爆撃訓練の猛訓練に明け暮れました。

昭和20年3月19日、飛行第62戦隊に急遽出撃命令が下ります。前村さんにとっての初陣。緊張した面持ちで整列する前村さん。その目に飛び込んで来たのは黒板にハッキリと書かれた次の文字でした。

「攻撃ハ特攻トス」

それはまさに唐突な特攻命令でした。

勇躍出撃したものの、攻撃隊は敵艦船を発見できずに引き返し、出撃4機中、2機が未帰還。このとき前村さんの乗機は前村さんの見事な航法により無事浜松基地に帰還しています。

昭和20年4月17日、前村さんは2度目の出撃命令を受けます。このころ第62戦隊は正式に特攻部隊に指定され、その第一陣として、前村さんの乗機を含む3機が沖縄方面に出撃することになったのです。

しかしながら、攻撃隊は与論島付近で敵機の迎撃を受け特攻攻撃を断念。3機中2機が未帰還という壮絶な戦闘の中、前村さんの乗機は20発以上被弾しがらも奇跡的に鹿屋基地に生還を果たしました。

「当然死ぬべき身であった私がこうして生きている。(中略)こうして生きていることが、共に出撃して戦死された方々を思うにつけ、只々申し訳ない気持ちで一杯である。」

前村さんは手記の中でそう心境を語っておられます。

私のような平和ボケした人間にはその胸中を推し量ることすらできません。しかし、前村さんが生還なさったからこそ、戦闘の模様、戦死なさったご戦友の事など、貴重なお話を伺うことができたし、それを忘れずに語り伝えることで、ささやかながらも慰霊とさせていただけるのではないかと、僭越ながらも考えている次第です。

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